長距離ウォーキングが楽しくなってくると、街道歩きに興味が出てくるのは私だけではないはず。
旧街道と呼ばれる道は全国に数あれど、誰もがすぐに思い浮かべるのは「東海道53次」だろうか。
東海道53次は、全長492キロ。東京の日本橋から京都の三条大橋までを結ぶ街道である。
江戸時代の人々は、ここを13~15日で歩いていたとか。
15日かかったとしても単純計算で、一日おおよそ33キロ!
恐るべし健脚である。
しかも現代のような機能性の高い靴もないのにね。足裏の皮が剥けちゃったりしなかったのだろうか。
私より先にこの53次に挑戦している友人がいる。
東京日本橋を出発してソロで京都を目指して歩いているが、その友人から、箱根峠を一緒に越えないかと声がかかった。
いつもは日帰りで区間を区切って歩いているらしいが、箱根峠は一泊して臨むとのこと。
私もいつかは挑戦するつもりの東海道だが、先に箱根峠だけ歩いてしまってもいいよね!
そう思って同行することにした。
箱根峠は東海道随一の難所だそうだ。小田原宿から箱根宿まで約16キロ。
箱根宿から三島宿までもまた16キロ。
今回私たちは、途中芦ノ湖で一泊し、二日間かけて歩く行程である。
「アラ還の箱根峠越え」決行日当日。お天気はあいにくの曇り空だが、心は遠足に行く子どものようにワクワクしている。
小田原駅で友人たちと落ち合って、いざ出発!
出発してすぐ、とても古そうな建物に目が留まった。

『済生堂薬局小西本店』1633年(寛永10年)創業のお薬屋さんで、今現在も営業されていて中に入ると優しい笑顔のご婦人がでていらっしゃった。
お店の歴史、時代劇でみるような薬棚や調剤用具のこと、表の看板は江戸時代からのもであること、関東大震災でお店が倒壊したものの壊れた建物の建材を再利用して今のお店を建てたことなどなど、いろんなお話を聞かせてくれた。

お店の看板にも使われている「薬」の文字がデザインがとてもクラシック。
その文字がデザインされたポーチを旅の記念にと購入し、楽しかったお話をして下さったご婦人にお礼を申し上げお店を後にした。
箱根湯本までは割と平坦な道で軽快に歩けたが、東坂と呼ばれる山道に入ると、ガイドブックなどでよく見る石畳が続いていた。

見た目は旧街道の雰囲気満載で、「おお!これぞ箱根峠!」と気分は上がったが、なんとこの石畳、シャレにならないくらいつるつる滑るのである。
こんなこともあろうかと、トレッキングシューズを履き、トレッキングポールも持参し臨んだが、足を一歩踏み出すたびにつるっとくるので、怖くてまともに歩けない。
こんなところを昔の人はどうやって歩いていたんだろう。
「もしかしたら草鞋(江戸時代の人は草鞋であるいていたのかな…)だと滑らないの??」
そんなことを話しながらなんとか歩をすすめた。
この箱根峠、坂にいろんな名前がついている。
「樫の木のさかをこゆればくるしくて、どんぐりほどの涙こぼるる」と歌われた「樫木坂」
「猿滑坂」の立札には「殊に危険、猿候といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」
どんぐりほどの涙、猿といえどもたやすく登りえず、など、この言葉だけで過酷だった箱根峠越えが想像できる。
そのあとも、「追込坂」「天ヶ石坂」「権現坂」と坂道が続く。
その途中【熊に注意】の看板を見たときは、思わず「ええー!」と声を出してしまった。

こんなにつるつる滑る石畳で熊に出くわしたとて、逃げることもままならないではないか。
友人たちと
「熊が出たらどうする?」
「そりゃ、逃げるしかないでしょう」
「でもこんなにつるつるだよ?すぐに転んでやられちゃうよ」
「どうせやられるなら、熊と戦う??」
いい大人がこんなどうしようもない会話をし、お互いのへっぴり腰を笑い合いながら、やっとの思いで芦ノ湖に到着した。
翌日は宿を出て、めざすは箱根宿。
そこからはまたいろんな名前のついた坂を今度は下る。
石畳は相変わらずつるつる、しかも下りなので余計に怖いが、慣れとは大したもの。
つるっとしたのをうまく吸収し、おっとっとと言いながら体制を立て直し、昨日とは打って変わってうまく歩けるようになっていた。
途中で垣間見えた富士山に年甲斐もなくはしゃいだりしながら、三島宿に到着。
わいわいがやがやの楽しい「アラ還 箱根峠越え」が終わった。
